義経黄金伝説■ 終章義経黄金伝説この小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n1703dc/YG源義経黄金伝説■一二世紀日本の三都市(京都、鎌倉、平泉)の物語。平家が滅亡し鎌倉幕府成立、奈良東大寺大仏再建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようと ――――――― ■義経黄金伝説 ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/ http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ ■ 終章 正治元年(一一九九)、源頼朝、落馬の怪我がもとで死亡と、鎌倉幕府正史 「吾妻鏡」には記されている。 印地打ちの石には、鉱山で使われる丹毒が、塗られていて、ゆっくりとした 死を頼朝に与えたらしい。 頼朝の死は平家滅亡より、十四年後である。 義経の存在が、日本の統一を可能にした。 頼朝は、義経のおかげで、追捕師として、日本全国に守護地頭を置くことを可能とした。これが律法の世、貴族の世である日本を、革命においこんだ。 黄金大仏の再建は、平安黄金国家の終わりを意味し、新しい征夷大将軍が続いて いく。 西行法師は文覚に、黄金のありかをつげ、 さでに先に運び込んだ黄金を頼朝の名前で、勧進を行った。その代わりに 義経をこれ以上追いかける事を約束させたといわれている。 西行の残りの黄金は、結縁衆、山伏たちによって、蝦夷・恵庭岳の山林中に隠 されてるという伝説が存在する。 宝物を埋めた目印として、笹竜胆の家紋が浮き出る、義経石が配されている。 笹竜胆は、西行えにしの藤原北家の家紋である。 当時、満州、東蒙古、華北地方を領有していた、女真族の国は金である。 義行も、母静ともともに吉次の手づるにより、金に渡っていると伝えられた。 義経は、その子、義行とともに、金朝に仕え、功績は抜群で、父子相次いで 範車大将軍に任じられたと「金史別伝」にある。 文覚は生き残り、鎌倉幕府により再び佐渡に配流された。1199年3月の事 である。 夢見、明恵は文覚の跡目となり、京都神護寺の事跡をつぐ。この後、承久の変の後 北条泰時が、明恵に深く帰依し、「御成敗式目」という法律をつくる。この中に 明恵のあるがごとくの思想は反映され、民間の知恵(あるがまま)を、条例化する手助けをした。式目は明治時代まで日本人のこころのよりどころとなる。 40年間書き綴られた「夢記」が今に残る。 東大寺勧進職は、栄西に受け継がれる。法然は鎌倉仏教を立ち上げていく。 鬼一法眼は伝説の人物となった。 紀州田仲庄は後、源頼朝の預所となり、高野山との土地争いは解決された。 藤原定家編纂の歌集「新古今和歌集」には西行の歌が94首が治められ、 入選歌集筆頭である。 歌の聖人、西行上人の名は日本の歴史に深く刻まれている。 ■明治元年(一一六八) 白峯神社(京都) 京都市上京区今出川通り飛鳥井に京都市上京区に白峯神宮はある。 祭神は崇徳上皇。日本の大魔王といわれている。 幼き明治帝の手を外祖父、中山忠能がかしづき、新しく出来た神社に詣でている。 「さあ。御君、ご先祖帝さまにお願い申し上げてくだされ。 これからの、御帝さまを中心とされる新しき政府に、崇徳様の怨霊がたたらぬよ うに、あたらしき政治をお守りくだるようにお願いつかまつれ。 代々、我が家、藤原本家に伝わりし、西行法師殿との約束を使え下させ」 幼き帝は、手を合わせ、御願いを、なされた。 「崇徳上皇様、お許しくだされ。我が王朝が武士から世辞を取り戻すに700年 かかってしまいました。今にいたり、大江広元が縁の2家、島津。毛利両家をもって、武士どもの町、江戸と政庁江戸幕府を倒し、武士どもを根こそぎ退治いたします。この長き屈折したりし日々をお許しくだされ。 そして、陰都でございます。平泉王国は、いにしえに滅びました、それゆえ、代わりに江戸を陰都といたします。平将門を祭る神田明神を持って、陰都の守神といたします。 が、本来は、崇徳上皇様が祭神でございます。どうぞ、我が王朝が、江戸城をもって皇居といたす事をおゆるしくだされ」 御年十六歳の帝は、深く頭をさげた。白峰稜前にある白峰寺木像(白峰大権現)が 讃岐から運ばれて来ていた。先帝孝明帝が望み、できなかった事をなしとがている。 「今、奥州東北の各藩が、列藩同盟とか申し、昔の蝦夷どものように反乱を起こそうとしております。我が王朝の若い貴族を持って先頭に立ち、荒恵比寿どもをたいらべます」 帝は、再び深々と、頭を垂れた。 崇徳上皇は、保元の乱の首謀者の一人である、後白河に敗れ、讃岐に流され、 そのちでなくなり、白峰山に葬られた。 讃岐は京都の南西の方角、つまり裏鬼門であり、平泉は、京都から見て鬼門 にあたる丑寅の方角である。 空から独白が落ちてきて響き渡った。 「西行法師よ、長くかかったのう。いつまで朕をまたせたことやら。がしかし、その陰都もいつまでも、安穏とするかや。所詮は、東京幕府、所詮は、荒夷ども街じゃ。朕が情念は、いつしか吹くだすやもしれぬ。見ておれ」 (完結)20050215版原稿 (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/ http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ |